出社25分前 目が覚める。違和感。時計を見る。…やはり。 脊髄反射で、目覚まし時計に全ての責任を転嫁したくなったが、それを止めたのは私だという記憶が確かにある。これは二度寝だ。言い訳の余地はない。 私は酷く目覚めが悪く、寝起きも悪い。出社前に1時間の余裕は欲しい。できることなら1時間半前には起きておきたい。 私はそんな自身の性質をよく理解しているし、誰も起こしてくれる人などいないので、いつも目覚まし時計を二つセットして万全の対策しているのだ。二つともスヌーズ機能がついているものを選んだ。 上にあるボタンを押してアラームの息の根を止めても、しばらく死んだふりを装って、またしれっと鳴り出すという、人を謀る素敵な機能。 問題は、上のボタンを単純にスルーして、横のスライドスイッチを下にスライドさせれば一発で完全に沈黙させることができるというのが、その二つの目覚ましに共通した操作になっており、それは、寝ぼけ眼の私が、目をつぶっていてもできる程度の簡単な作業だいうことだ。 目覚まし時計側に、本気で人を起こす気概があるのであれば、リズムゲーよろしくテンポよくボタンを押さないと、アラームを解除できないようにしたり、スライドスイッチと上のボタンの同時押しを要求したりと、もっといろいろできるはずだ。 ウェブサイトの認証で、利用者に簡単なクイズを出題して、ロボットと人間を識別するような仕組みがあるが、あのようなものを導入してもいい。 トラップボタンを用意するだけの単純な仕組みで人間を騙せるだなんてさすがに目論見が甘いのではないか‥‥。 いやいや、だから言い訳の余地はないんだって。っていうか言い訳してる時間がないんだって。 時計を見る。7分が経過している。いやさすがに7分もぼおっとしてた覚えはないのだけれど・・・でも、お前がそういうならそうなんだろうな。 残り18分。 落ち着け。よくあることだ。こんなものは慣れっこだ。 呼吸を整えて、優先順位を整理する。 まず、朝食は採りたい。 仕事場で一番忙しいのは午前中だったりするのだが、何のエネルギーもとらずにその時間を乗り切って昼食まで耐えられるかはわからない。少なくとも仕事の効率は悪くなるだろう。 そもそも、まともに昼休みが取れるかどうかもわからない。まったく食事をとる時間がないということはないだろうが、忙しければ、時間が大幅にずれ込むことはよくある。 しっかりと歯も磨きたい。 上京して、一人暮らしを始めてから、歯磨きをすっかりさぼってた時期があった。 歯に痛みを感じたころにはもう手遅れで、一週間ほどは自分を騙してやりすごしていたものの耐えきれなくなった。 近所の歯科医に相談したときには、まだ痛んでいない歯も含めて、治療の必要のある歯がそろい踏みで、 結局、長期間に渡って、その歯科に通うはめになったことがある。あんなことはもう繰り返したくない。 治療そのものも楽しいものではなかったが、それ以上に、こうなるまで放っておいた物ぐさを治療時間中ずっと責められているような気がして、なかなか堪えるものがあった。 地味に治療費も痛かった。保険診療の範囲内ではあったものの、平均して週に数千円が消えていく。これで何冊小説が買えるものかと思ったものだ。 スケジュールの点でも辛かった。治療後に次の予約を入れることになっているため、次の次に通う時間が読めない。その歯科に通えるタイミングが土曜日しか無かったので、結果として、再来週以降の土曜は日中まるごとスケジュールを開けておかなくてはならかったのだ。そうだ、あのころはそのせいで・・・と記憶の海に潜りかけたところで我に帰る。 残り10分を切っている。なんかこの部屋だけ時間が加速してない? とにもかくにも、まずはこの寝ぼけた頭をしゃっきりさせる必要がある。 そうだ顔を洗おう。 水道の蛇口から勢いよく水を出して、その水音を聞く。この音が嫌いではない。 顔に水をじゃぶじゃぶあてると、自然と心が落ち着いてくる。 改めて、自分が今とるべき行動を確認する。 テレビを付けて天気予報を確認するべきだろうか? いまは雨が降っている様子はないし、最悪、コンビニで傘でも買えばいいだろう。 鞄の中身を確認すべきだろうか? いや、昨日と今日で何も必要なものはかわらない。鞄を開ける必要もない。 赤ボールペンのインクの出が悪かった気がするが、これも現地調達でいいだろう。 髭剃り?一日ぐらい大丈夫だろう。無精ひげで会社に来る人なんて他にもいる。 スーツにシワが出来てるけど…構うものか。 そういえば、朝にラジオ体操しようとか思ってなかったっけ。 いやバカいうな。そんなの普段もしていないだろう。 ‥‥ ひとつひとつ、朝のToDoを列挙し、その必要性を否定していく。 遅刻しないことを必須命題にした場合、やらなくてもなんとかなることは多い。 なんだ、いろいろ諦めさえすれば余裕ではないか。むしろ時間が余るぐらいだ。 残り5分。 そうだ、カフェインを摂取しておこう。 電気ポットにお湯を入れる。ティーパックの緑茶をいれて一息つく。 そういえば…。 普段、通勤に使っている路地が先週から水道の工事で使えなくなっていたことを思い出す。 迂回しても、たいしたロスにはならないはずだが既に結構ギリギリの時間である。慌てて外に出る。 あ、部屋の電気は消しただろうか。昨晩寝落ちしたけど、パソコンの電源は確実に落としてないな。ってことは、いつも寝る直前にやるから、スマホの充電も出来てないな。 そうだ、朝に洗濯が終わるように洗濯機の予約設定をしてたんだった。洗濯物をそのまま洗濯機に突っ込んだままだ…。 つーか、よく考えたら結局、食事とってないし。いいや歯磨きする手間が省けたと思うべきか? 先週の同じ曜日もだいたいこんな感じだったなと思いながら、私は駅へ向かう。