極北 takamiism  年に1度のディオス大祭の日、人々が社に向かって歩いていると、テオクリトスはいつも、社の方から下ってくるようにした。  何をしているのかと言われて、彼は、次のように答えた。 「私が、この命尽きるまで、やろうとしていることを」  テオクリトスは、東の国ポシリュポンと西の国テンツーニが接する国境の町アリストで、名家の長男として生まれた。  成人して、町の役人として働いているとき、当時の町の指導者たちを批判する言動により、町から追放されたという。  また、クリストブロスが報告する言い伝えでは、次のように言ったという。 「お前たちに追われるのではない。私がお前たちを見捨てるのだ」  この言葉を残し、笑いながら、みずから町を去っていった。  しかし、アイアントドロスの本によると、家が貧しく、それが嫌になったことが理由だという。  シルバテスの町で、「他人との結びつきを大切にして、自分を育てよう」というスローガンを掲げた集団が現れた。  この集団への支持が集まって、若者たちの中に、「今こそ絆による革命を!」と叫ぶ者たちが増え始めたころ、その町のそばをテオクリトスが通りかかった。  彼は、町の門の下で、町の方を向いて、立ち続けた。  何をしているのかと通行人に聞かれて、彼は答えた、「病気にかかった豚どもが外に出ていかないように、わしが見張っている」、と。  ある家の主が死んで、盛大な葬式が行われることになった。  たくさんの人が、涙を流し、故人を偲んでいるところへ、テオクリトスがやってきた。  年に1度の祭のときに着る、派手な衣装を身にまとっていた。  そして、周りのひんしゅくを買うのも構わず、陽気な歌を歌い続けたという。  北東の国アルバスの王が、テオクリトスに興味を示し、彼を召喚した。  自分のところへやって来た、王の使いに、彼は次のような伝言を頼んだ。 「私は、この私自身に仕えるという高貴なる政治に励んでいる。よって、あなたに助言できることは、ただひとつ。今すぐに退位せよ、そして、自分自身に専念されたし」  さて、アポロドロスの言い伝えによると、この話には続きがある。  テオクリトスの伝言を聞いた王は激怒し、彼を捕まえて、幽閉してしまった。  その話を聞きつけたデメトリオスが、アルバスへ赴き、王を説得して、テオクリトスを釈放させた。  数か月ぶりに姿を見せたテオクリトスは、デメトリオスにこう言った。 「デメトリオスよ、君はそれほど慌てることもなかった。私は、大いなる徳を身につける修行をしていたのだからね」  しかし、イリストンの町の古文書によれば、テオクリトスはアルバスへは行ったことがないという。  ニコストラトスの町で、テオクリトスは、何もせずに、何時間も座っていた。  「この怠け者め」とからかわれて、彼は、次のように応じた。 「いま、この世でもっとも価値のあることをしている。このわしほど、勤勉なものもおるまい」  アンテフォンが、次の話を伝えている。  アデマントスの組とリュサニアスの組に分かれて、競技大会が行われていた。  どちらの組を応援するかという質問に対して、その場に居合わせたテオクリトスは、次のように答えた。 「そこの運動場は、土が悪い」  そう言って、観戦することもなく、その場を立ち去ったということだ。  デメトリオスが、ある国から助言を頼まれて、南へ行くことになった。  それを聞きつけたテオクリトスは、デメトリオスと対面すると、次のように言った。 「友よ、君が南へ向かうならば、ぼくは北へ赴こう」  そして、デメトリオスが出立するよりも早く、北門から出ていった。  なお、テオドロスが言うには、これ以後、彼らは二度と出会うことはなかったという。  しかし、デモドコスの本によると、この後、テオクリトスも同じ国に呼ばれたため、彼らはすぐに再会したという。  お前はいま何歳なのかと聞かれて、テオクリトスは、次のように言った。 「わしは、1日の終わりに死んで、始まりに生まれている。だから、毎日が誕生日の赤子なのだ」  あなたは何の知識も授けてくれないと批判されたテオクリトスは、微笑んで、次のように言い返した。 「偉大な人間であるならば、本来、何も生み出す必要はないはずだ」  君の友人、デメトリオスはどんな人物かと尋ねられて、テオクリトスは、よどみなく答えた。 「その言葉と行動が一致している。彼ほど、自分と調和している人間はいない」  ある宴に呼ばれて、テオクリトスは出向いた。  しかし、席に座ったものの、料理をひとつも口にしなかった。  なぜ手を出さないのかと質問されると、テオクリトスは深々と一礼して、何も言わずに帰っていった。  あるとき、テオクリトスに憧れ、彼の後をついてまわる者たちが現れた。彼らから、「テオクリトス、テオクリトスよ」と呼びかけられても、テオクリトスは振り向きもしなくなった。  そこで、その中の1人が言った。 「彼は、自分の名前という、もっとも重い荷物を捨てることができたわけだ」  この話を耳にしたデメトリオスは、同意を求められても、口を閉ざして、何も言わなかった。  テオクリトスとデメトリオスがはじめて顔を合わせたとき、次のような対話をしたという。 「テオクリトスよ、あなたの噂は聞いています」 「噂という名の罵詈雑言のことなら、ぼくも耳にしている。本人に聞こえないところで叩くのが、陰口だと思っていたがね」 「たしかに、あなたを悪く言うものも、中にはあります。しかし、そうではないものも、たくさん」 「世辞はよしてくれ、デメトリオス。世辞ほど虫唾の走るものはない」  しかし、テオブティテスの報告する言い伝えでは、対話の内容は、次の通りだったという。 「テオクリトスよ、一度お会いして、直接お聞きしたいことがありました」 「言ってくれ。尋ねてくれ。私は率直に答えることを誓おう」 「あなたについて様々なことが言われています。自分の発言を打ち消すようなふるまいをしている、テオクリトスは矛盾している、と」 「デメトリオス、友よ、そのためにこそ、昨日と違う今日があるのだ」  自分の人生、はたして生きる意味があるのかと若者から相談されて、テオクリトスは、相手の肩をたたいて言った。 「どうぞ、ごゆっくり」  セレナスの町には、デメトリオスが死んだときに、テオクリトスが詠んだとされる、次のような詩が残されている。 「君は今、静かに大地に横たわっている  陽の光に包まれて、君は何を考えているのだろう?  穏やかな風に吹かれて、自分と対話しているのかい?  君は死んだ、ぼくは生きている  だが、それがどうしたというのだろう!  ぼくたちを飛び越えて、ぼくたちの後からゆっくりと  また別の人たちが、歩いてくるのだろう  そうだ!ぼくたちは道なんだ!  その途中にある宿なんだ!  だから、ともに見送ろう  ぼくたちの信念が互いに競い合って、遠く旅立つ、そのさまを」  一方で、アイスキネスは、これは、テオクリトスの死に際して、デメトリオスが詠んだ歌だとしている。  しかし、エピゲネスの伝えるところによれば、テオクリトスとデメトリオスは同じ年に死んだが、遠方の国にいたため、お互いの死を知らなかったという。  パラロスの本によると、後年、「なぜ故郷を飛び出したのか」と尋ねられて、テオクリトスは、次のように答えたと伝えられている。 「いつの頃からか、声が聞こえた。そして、その声が言うのだ。おかしい、流されるな、と。わしはただ、その声に従っただけだ」