権利過剰  春樹はパパと違って、頭が悪くて、運動音痴で、おまけに胡散臭い、大っきな子供。でも、世界で五本の指に入るほどの産まれ付きのお金持ち。  能力のないサラブレッドは、競走馬の世界だと殺されちゃうけど、春樹は人間だから生かされている。おだてられれば、魔法の財布から幾らでも、お金を出してくれる。  皆はそんな春樹が大好き。春樹が沢山もっているお金が大好き。パンの耳しか買えない貧乏人も春樹と仲良くなれば、忽ち小金持ちに変身する。  だから春樹が、どれだけ大法螺を吹いても、小学校の子供でも知っているような知識を自慢気に披露しても『凄いね、インテリだね』と皆は春樹を褒め称える。  春樹は裸の王子様。本当は友達なんか一人もいない。ずっと利用されている。  春樹は人を三人殺している。一人目は御曹司の春樹を肉欲の虜にするのに失敗した女。未公開株情報の話があると誘われて、六本木ヒルズにある女の部屋に入った。途端、春樹はベッドに押し倒されて情事を強要された。その際に抵抗した弾みで絞殺してしまったのだ。激しい罪悪感に襲われた春樹は、せめてもの償いとして、持参するアタッシュケースに丁度入っていた二百万円を殺人現場に残すと、泣きながら場を去った。  ただ御曹司の春樹は殺人の罪に問われなかった。春樹を取り巻く権力が驚くほど手際良い情報工作をしたためである。事件が発覚してから数日、女と親しかった人物が自殺を装って殺された。  春樹は不思議だった。人を殺してしまったことを告白した時、使用人が顔色一つ変えなかったのだ。まるで彼等が日常的に殺人事件の事後を処理しているかのように思われた。  春樹は試しに二人目を殺すことにした。二人目は場末のスナックでホステスとして働く、三十路の後半を迎えた女だった。厳密には彼の冤罪犯として犠牲になった人間がいるので三人目である。出会いのきっかけは単純なもので、人の気のない清澄な夜の風を浴びたいからという理由で、独りオープンカーを走らせている時に遭遇したのだった。  春樹が声をかけると、女は躊躇する間もなく飛びつくように隣に乗り込んだ。春樹は心にも無い甘い言葉をさり気なく会話に織り混ぜながら、女が妄想の範囲内でしか知らないであろう、社交界事情などを聞かせてあげた。乗車するのに疑問さえ覚えなかったものも、警戒心を解いていないのが観察できる。ドライブを楽しみながら互いの事情を話す。次第に女が心を許して行く中で、春樹が頃合いを見計らって、朝まで愉快に語り明かそうと家へ誘うと女は二つ返事で承諾した。女の頬は紅潮し、瞳は夢の中にでもいるような輝きに満ちていた。  家に到着すると、春樹はすぐさま大量の睡眠薬をスパークリングワインに混入したものを自然な流れで女に飲ませて、眠りに落ちたのを認めると、練炭を燃やし、密室状態になった部屋を後にした。女の呼吸器官が停止するまでの六時間ほどの間、春樹は隣室で待機していた。お気に入りのクラシック音楽を記録したUSBメモリーをオーディオ機器に挿し、安楽椅子に揺られながらリラックスして時間を過ごした。特にアンドレ・ギャニオンの巡り合いを何度もリピートし、女と談笑している時にずっと感じていた嘔吐感のようなものが、美しい情景へとすり替わるのを、目を瞑って集中することにした。  嫌な記憶がすっかり別物へと変わった頃、春樹は密室の扉を開いた。焦げ臭い匂いが鼻をつく。部屋の窓を全て開け放し、死の匂いを外へと逃げさせた。そして、なるべく視界に入らないように紫色のスカーフで女の顔を覆うと、頸動脈に指をあてる。脈は止まっていたが、念のために女の胸にも耳をあてる。鼓動は止まっている。足元に転がる、出来上がったばかりの女の死体を眺めながら、春樹は考えた。 (この方法では、この前のように簡単に情報工作されるのではないか? )  春樹は胸ポケットから取り出したカザールのサングラスを耳にかけると、バスルームに死体を運び100以上の肉片に分解した。それから行方不明者の一人として闇の中に葬り去られないように、わざわざスーツケースに肉片を収納すると、三時間の仮眠後に池袋へ赴き、人通りが最も多いとされるサンシャイン60通りで、腹の底から大絶叫しつつスーツケースを左右に開いた。時間は十三時、人混みが最も多い時間帯である。  ただちに春樹の周りに人だかりができた。ただ、人だかりの種類が異常だったのである。何処から湧いたものか、全員が黒服の男なのだ。春樹はこのことで、自分は常に視界の外から集団監視されていることを知った。体の中に微小のGPSが埋め込まれているのかも知れない。春樹の両脇に黒服の太い腕が回されると、続け様にスポンジのようなもので口を塞がれる。首筋に針を刺されたかのような小さな痛みが走ってから、十数秒経って春樹は昏倒した。  眠りから目が覚めたのはスーツケースを開いてから、およそ一日半後。自室のベッドで横になっていた。瞼は重く、眠ろうと思えば直ぐにでも再び眠りにつけそうだった。朦朧とした思考状態で床に落ちているリモコンを拾う。確かめなければならないことが、ぼんやりと頭に浮かぶと、テレビを点けて、ニュース番組を調べた。時間帯が悪いのか、どのチャンネルも残念ながら異常事件の報道はされていない。春樹はベッドの横に備え付けたサイドワゴンに載ったノートパソコンを羽毛枕の上に放り出す。俯せになった状態でノートパソコンを起動し、迷わずインターネットに繋ぐ。普段ならば新着メールの有無を確認し、アクセサリのメモ帳を複数開き、i-tunesでBGMの環境を整えてからネットサーフィンを楽しむところなのだが、それどころではなかった。 『池袋 バラバラ事件』と検索窓に入力する。一ページには目的の情報が見つからない。事件が起こって日が浅いので、一ページ目には表示されないのだと強引に納得させる。二ページ目、該当情報無し。三ページ目、同じく無し。四ページ目、無し……春樹は半ば叫びそうになりながら、MSN、yahooなどの大手サイトに繋いだ。ここもだ、本来ならばセンセーショナルに報道されるはずの事件が載っていない。  春樹は受話器をとると、執事に連絡し、ここ二日間の新聞を各紙届けるように催促する。ほどなくチャイムが鳴ると、両脇に大量の新聞を抱えた執事が入ってきた。執事を部屋から退出させ、春樹は大理石の床一面に各紙を広げる。無い、無い、無い、何故これほどの大事件を起こしたにも関わらず、間違い探しの真似事をするのか、春樹の頭は混迷を極めていた。 (ここまで情報工作は完璧に為されるものなのか? ここまで人の命は軽いものなのか? 或いは私の命は重く、守られるべきものなのか? 公権力はどうだ? 私を裁けないか? 嫌、駄目だ。何か都合の良い精神病をラべリングされて、しばらく私は精神病院に拘束されるだけなのだろう。そうだ、あの時もそうだったのだ。では、どうすればいい? )  果てない懊悩に、春樹の神経は際限無く削られて行く。それから数ヶ月後、春樹はアフガニスタンの上空にいた。忌まわしい伝統に倣って、飛行船はボックスカーに決定された。投下口には長崎に落とされたものと比べて、五倍の大きさを誇る核弾頭が積まれている。核弾頭のコードネームは、奈落の底を意味するアバドンと名付けられた。 (これで裁かれないのであれば、私には天から授けられた正義があるのだ。この世から、あらゆる悪を浄化できる……)  こうした英雄的な試みの際には、ヒーローを讃える歌が脳内に流れると思っていた、そう例えば春樹が子供の頃に熱中して観ていた仮面ライダーブラックRXのオープニング曲などが聞こえても良かった。なのに、ほとんど聞いたことの筈のない、シューベルトの魔王がすぐ傍で熱唱されてるかのように鮮明に聞こえ続けている。狂気に潤った瞳を閉じて、春樹は呟いた。 「正義の目か、咎の目か」  春樹は投下口の開閉ボタンを、そっと押した。  でも、きっとパパが春樹を守ってくれる。それが悍ましいヒーローごっこに過ぎないとしても、春樹のパパは世界有数の王様なのだから PS:裁かれない悪人を、若干の厨二病を交えて書いてます。 獄卒初心者