分身 takamiism 「挨拶」  ようこそ、異国の方よ!  ここにあるのは、どこまでも広がる砂漠、そして紙に落とした数滴のインクのようなオアシス――あぁ、蜃気楼のような!――捉えどころのない、しかしその存在を確かに感じさせる、地平線に沈みつつある太陽の放つ、あの光にも似た……  だから、異国の方よ!  もしかしたら、何もない、殺風景な部屋にいると錯覚するかもしれません!  でも、それでも、どうか、窓を開けてほしいのです。幾重にも鍵穴の待ち構える、しかし一つも鍵を必要とはしない窓を……  そして、異国の方よ、感じていただきたい!  そこを通り抜けていく風を。それは、きっと軽やかな風でしょう。思わず笑い出したくなる、わけもなく楽しい気分になれる、そんな風の音を…… 「第二の序文」  この作品には、序文が一つでは物足りない。二つ、いや、三つの序文さえ要求されている。  幼いころに夜道を一人で歩いたとき、その孤独に耐えきれず震えていた私を、月が照らしてくれた。  あの時のように、静寂に耳を傾けながら、今日という良き日に、私は自分について、自分と語り合おう。 「私の誕生」  天空を父とし、大地を母として、私は生まれた。  私は声を上げることもなく、涙を流すこともなく、静かに微笑んでいたという。  私は笑いの化身である。   「私の身体」  私の肉体は弱い。そして、敏感であった。数々の病が私を襲い、私はまるで病気の博物館のように、伏せていた。  そこは一個の戦場であって、戦端が開かれてしまうと、優勢になった側が突如として潮のように引き下がり、そうかと思えば、追い込まれたものがときに力を盛り返す。  衝突と離散、分離と混合、産出と破壊を繰り返す、この世界の縮図としての私の肉体!  その様子を、醒めた眼と安らかな心で眺めている私の魂、山の頂から見下ろすように……  散り散りに引き裂かれることを、己の内で学んだ者だけが、節度の何たるかを知っている。 「私の精神」  私の内には、確固としたものに対する、ささやかな反感が住みついている。  文章を読むとき、ものを書くとき、人と話すとき、それぞれの行為を終えた暁には、それまでとは別なふうに考え、世界を見ることができるのか――これが、私の唯一の関心事である。 「道化が一言」  自分の人生を笑い飛ばすことができたなら、それ以上の何を求めようか! 「私の書き方」  私は自分のために書く。  ものを書くことができなくなったときに、それでも自分自身を楽しめるように、自分と共にいることができるように、いわば自分に先駆けて、書いておくのだ。 「山の中で」  友よ、友達という概念は、もう随分前に捨てたはずだな? 「私の考え方」  私は作品の構想はしない。そうではなくて、ただ祈りを捧げる。  静かに腰を下ろし、目を閉じて、その時が来るのを待つ。  祈りが聞き届けられることは、まずない。  しかし、ごく稀に、雲間から一筋の光が差し込んでくる。  私は目を開ける。降ってくるのは、黄金のきらめき。思わず、手をかざす――その永遠の一瞬が過ぎ去ると、感謝の念を述べようと口が開こうとする――張りつめていた弦は緩み、固くなっていた腕がゆっくりと動き出し、目の前には新しい世界が広がっている。  私は説明はしない。記述するだけだ。  私の仕事は、新世界をスケッチし、それを持ち帰ることなのだ。私は一人の冒険者である。 「アルカディアより」  君の目指すところは、率直さという名で呼ばれている場所である。  自分を偽るな!着飾る必要はない!仰々しい物言いなんて、まっぴら御免だ!  多くのものを差し引いていくこと。何も付け足したりせずに、そのままにしておくこと。  弁解をする理由が、君には見つからないはずだ。 「私の断片」  私の文章は短い。  長々と述べ立てる、厳密に証明する、人を説得しようとする、そういうものに対する嘔吐感が、私の胸に宿っている。  私の文章は乾いている。  湿り気を帯びた空気に対する嫌悪感が、私の原動力なのだ。  私の文章は冷たい。  我を忘れて熱狂するものに対する無関心が、私の大好物である。   「これからの私」  私に未来はない。私の目の前に広がっているのは、現在と過去であり、私の家の門は固く閉ざされている。未来はどこにも存在しない。私は頼まない。 「雑踏が教えてくれる」  あぁ、束の間の、影の夢。来て、見て、去る。 「これまでの私」  私は過去を振り返らない。後悔など、私には無縁である。  かつてあったものに対する私の態度は、感謝と崇拝である。  過去は、動かしがたい。その不動さを、そのままに引き受け、生かすこと――過去とは、私が身に付けるべき鎧である。私は執着しない。 「声が聞こえる」  この人、何を言っているんだろう。正気だろうか。 「私の名前」  私の作品の表題は、すべて漢字で構成されている。  それをどのように読み下すか、君は試されているのだ!  そのまま読めばいいのか、あるいは受身か?あるいは、何かが短縮されている?あるいは、君はどう思う、あるいは? 「人間讃歌」  私は人間が嫌いである。汚らわしく、腐り果てていて、何の価値もない。  私は人間が好きである。この世界でこれほど興味深く、滑稽で、愛らしいものもない! 「私の文体」  文体を整えることが内容を鍛え上げることであり、その逆もまた――  この意味が、おわかりになるだろうか? 「夢」  この作品の真の表題は、「夢幻」である。  この作品において、私の第一歩が踏み出された。  それは、夜ごとに語り聞かせる寝物語、子供が一切の先入見なく迷い込んでいく絵本の中の、ほんの一節である。  ここには、私のすべてが詰め込まれている。  どんな解釈をも許し、包み込む懐の広さ、  伝えたいことを決して伝えまいとする素っ気なさ、  実は何も言いたいことがないのではないか、そんな疑いの念を読み手に抱かせる、ひとつまみの悪意……。  そうしたものが、わずか数百の文字の間から、浮かび上がってきてはいないだろうか?  この作品は、私の挑戦である。 「いつまでも、どこまでも」  どうして、今まさに夢を見ていないと言い切れるのか?――夢ならば、いつかは醒める――いつか、だって?それは、一体いつ?醒めるかどうかを確かめることができないならば、「夢を見ているかも」という疑いは、いつまでも残り続ける!――そのように君が疑っているときも、君は眠り、食べ、働き、楽しみ、悲しんでいるのだろう?疑っても特に違いがないなら、好きにするがいい――そんな答えで、お茶を濁そうとするのはよせ!――いいや、納屋に置いておきたいだけさ。 「狙撃」  勝負は二回戦で決まる。この作品で私は、私の子供たちを戦わせることにした。私は彼らを愛し、時に憎んでいる。慈しみの心を忘れたことはないが、しかしながら彼らを殺すことにやぶさかでない。  彼らの戦いに終わりはない。  その踊りに果てはない。  ならば、舞い続けようではないか!  この作品は、私の実験である。 「仏を殺して」  どうして、人を殺してはいけないの?――そんな質問をしているかぎり、お前はまだ悪の何たるかを知らない。 「極北」  テオクリトスは私の友人である。この作品は、彼の生涯の一端を見せるために、書かれた。  私は、かつて尋ねたことがある。「あなたのその強い信念は、どこから生まれるのですか。固く持ち続ける秘訣は何ですか」、と。彼は自分の腹を指して言った。「信念は胃に宿る」。そのとき、彼の腹が鳴った――結局、私はその日の夕食をおごらされた。信念は胃に宿る!彼の方が一枚上手だった!いやはや! 「私の読み方」  私はゆっくり読む。一言一句まで見逃すまいとする指、行間に、作者の思いもしなかった、そこにありもしないものを見てしまう目、文章を、そのリズムとテンポのままに味わおうとする口、登場人物の声なき声を拾おうとする耳、私の内なる情熱を吹きつける鼻――私は全身で読む。  私は私の魂をかけて、作品と対話するのである。 「分身」  おや、この作品のことではないか!  それにしても、これを書いているのは、誰なのだろう。  私と名乗っている君は、一体どこのどなた?  あっ、静かに!何か聞こえた?声が?どこからともなく、しかしはっきりと――君か、君がそうなのか……まだ見ぬ君が?――そうか……これが私であったのか。  この作品は、私の自伝ではない。 「追記」  私の次回作は、「木霊」。ご期待ください! 「あとがき」  この作品に書かれていることは、すべてフィクションである。  信じてはいけない。 「プロローグ」  万事は始めに帰る。結末に序章が置かれていても、おかしくはないでしょう?  これは道具箱です。しかるべきものを選び、しかるべき時に使ってください。  道具たちも喜びます! 「エピローグ」  さぁ、いかがでしたか、異国の方よ!  微笑ましく、馬鹿馬鹿しく、ときに安らかな眠りを誘う博覧会は、ここまでです。お祭りは終わりました!  しかし、異国の方よ、感じませんか?  魔法にかかったままの、ぼんやりとした日差しを。夏の暑い日の逃げ水の予感を……  そう、そうです、異国の方よ!  道はまだ続きます。迷路になるのは、これから!  しかし、それは後の楽しみに取って置きましょう。今日は、ここまで。  だから、異国の方よ、どうかお達者で!  またのお越しをお待ちしております。いえ、こちらから伺います。次は、あなたの番なのですから――