狙撃 takamiism  双眼鏡越しに、向かいにあるビルの裏口を見ている。雨が降っていて、人通りは普段より少なかった。  どうせなら、このまま降り止まなければいいのに。  あたしの仕事は、金を貰って対象を消すこと、いわゆる殺し屋だ。  なにも、人を殺すことが好きで、これを稼業にしているわけじゃない。  ただ、そういう運命にあっただけさ。 「晴れの日は、雨の前触れだ」  彼女が覚えている、男との最初の会話だった。  彼女は言った。それ、何かの比喩? 「空を見て、自分の魂を落ち着かせる。それを言葉にする。お前もやってみろ」  しばらく空を見てから、彼女は口を開いた。  そもそも、この仕事の大半は、準備と待機に費やされる。対象の行動を調べ上げ、あとは、その機会を狙う。ひたすら、待つ。  だから、この仕事に一番必要とされるのは、忍耐といっていい。  男から最初に教わったのは、気配を消すことだった。 「それは、姿を隠すこととは違う。そこにいるのに、いない。いないと思ったら、次の瞬間にはいる」  彼女が黙っていると、男は続けた。 「ただのハッタリにすぎん。だが、これさえあれば、お前は誰にも負けない」  服の下に忍ばせたナイフに、触れる。  使用する得物には、よくナイフを使う。  いつもの手順を踏んで、いつもの武器を使う。これがもっとも確実で、ミスが少ない。  男は、いつもナイフと拳銃を携帯していた。 「こだわりを持つのは、アホのすることだ」  これが彼の口癖だ。  彼女は、かつて尋ねたことがある。そのナイフと銃は、こだわりじゃないの?  男は、少しだけ口を歪ませた。 「お前の言う通りだ。これは、俺がまだ弱い証拠だ」  今回の依頼は、その経緯からして、少し妙だった。  仕事をするとき、あたしは、だいたい何人かの同業者と行動する。その仕事に合わせて、顔ぶれは入れ替わる。  でも、今回は、あたしだけだ。もちろん一人で仕事をしたことも、これまでに何度かある。  多少臭かったが、結局引き受けることにした。これでも、腕に自信はある。 「違和感を覚えろ」  仕事をこなすようになった頃、男がそんなことを言った。 「何か感じたら、どんな段階であろうと、そこで手を引け」  彼女は反論した。どんな状況でも完遂するのが、腕が立つってことなんじゃないの?  男は、いつもより険しい表情で、語気を強めた。 「目の前の落とし穴に気付いて、立ち止まるのがプロだ。臆病になれ」  対象が裏口から出てきた。あたしが隠れている方向へ歩いてくる。  あと10歩、近づいてきたら、そこで。  ん?  何だ、この女。  いつからいた?  いや、こんな至近距離に人がいたことにあたしが気付か  彼女は、倒れている女を眺めた。  首があらぬ方向に曲がっている。口から舌がだらしなく出ていた。  向こうから歩いてきた、スーツ姿の若い女が、立ち止まる。 「終わった?」 「見ればわかるでしょ」  彼女の声は、小さかった。 「相変わらず、『腕』がいいわね。今回のターゲット、同じ業界の人みたい」 「どうでもいい」 「はいはい。囮になった私の身にもなってよ。雨も降ってるし、気が滅入ることばっかり。じゃ、またね」  スーツの女は、その場を離れていった。  彼女は、それを見送ることなく、空を見上げた。どんよりとした雲に覆われている。そのまま、静かに呟いた。  やまない雨はない。